京大知的好奇心学

人文科学分野 人類学してみる人 くらしと水とまちなみと
これまでの講義

学びの実学と哲学

 

目次

 1.自己紹介
 2.人類学
  (1)人類学とは何か
  (2)フィールドワークの事例
 3.チュニジアでのフィールドワーク
  (1)概要
  (2)チュニジアでのカルチャーショック
  (3)イスラーム教における男女
 4.私の研究
  (1)テーマ設定
  (2)聞き取り調査
  (3)オリーブに関する仕事
  (4)考察
 5.まとめ

 

1. 自己紹介

図1 大学時代の自転車での旅行(講師撮影)
図1 大学時代の自転車での旅行(講師撮影)

 私が皆さんの歳だった頃の話から始めましょう。高校3年生のとき、突然思い立ってママチャリで旅をしたことがあります。当時住んでいた東京から1日100kmくらい走って、3日間かけて名古屋までたどり着きました。このことがキッカケとなって、大学生の時も変わらずに自転車で旅をしていました(図1)。自分の知らない場所、その土地で出会う人から聞く未知の話にワクワクしていました。大学4年生の時には勢い余って海外を自転車でまわりました。東南アジアやヨーロッパを3,000kmくらい走りました。知らない土地・人・食べ物など、未知の世界が新鮮でたまりませんでした。この頃から異文化に興味を持っていたと思います。高校3年生の時に思い立ったキッカケから始まって、現在している研究までつながっているのかなと思います。
 この異文化への興味は、大学卒業後もさらに続きます。大学卒業後は海外で仕事をしたいと思い、チュニジアで中学生・高校生にスポーツ(卓球)を教える職に就きました。そして帰国後、そのチュニジアの人びとや社会についてもっと考えを深めたいと思い、今いる京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科で勉強することにしました。特にその研究科で人類学(※1)という学問を通じてチュニジアの人びとを理解しようとしています。

※1:人類学には生物的側面を研究する「自然人類学」と、文化的・社会的側面を研究する「文化人類学(社会人類学とも呼ぶ)」とがありますが、ここでいう人類学は主に後者の意味です

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2. 人類学

 

(1)人類学とは何か

 まず、人類学という学問について簡単に紹介します。人類学というくらいですから、人類・人について研究するのですが、そのデータの取り方が、他の研究に比べて特殊であることから紹介します。
研究は自らのデータをもとに、これまでに言われていないことを証明するものです。物理学では実験や計算によって得られるデータからものの法則を示し、歴史学では文献や遺物から得られるデータによって過去の出来事を解明します。
 人類学は?というと、人の会話や行動を観察して記録し、そのデータから人について考えます。人の会話や行動を観察して記録するというと、なんだか怪しいですね(笑)。人類学者はスパイみたいだと誰かが言っていましたが、イメージとしてはそれに近いのかも知れません。(もちろん当人に許可を得て観察しているので、その点でスパイとは全く異なりますが。)また、観察するだけでなく自分も加わってしまう人類学者もいます。職人を研究するために、本人も職人になったという例もあります。このように、観察だけでなく「参与(加わる)」もしているので「参与観察」とも呼ばれます。このようにして得たデータをもとに、人について考えるのが人類学です。
 このような調査をするには直接現地へ行って、現地の人たちと一緒の時間を過ごすしかありません。人類学が「フィールド(現場)ワーク(研究)」の学問であると呼ばれるゆえんです。フィールドワークなしの人類学はないといってもよいでしょう。

 

(2)フィールドワークの事例

 ではどのような場所で、どのような人たちを対象にワーク(観察や参与観察)するのでしょう。ちょっとだけ例を紹介してみましょう。
 およそ100年前にマリノフスキー(※2)という人によって、このフィールドワークの手本が示されました。彼は2年間にわたってパプア・ニューギニアの島にテントを張り、現地の言葉を少しずつ理解しながら、村の人々の会話や行動をくまなく記録しました。そしてその記録から現地社会の解明を試みます。
 例えばですね、マリノフスキーは島の村人たちの不思議な儀礼を記録します。村人は実際に使われることがほとんどない首飾りと腕輪を持っていて、それを遠くの島の人と定期的に交換し続けている。カヌーに乗って身の危険をおかしながら、使うことのない装飾具を遠くの島に住んでいる村人と交換し続ける。そしてその装飾具を村人は誇らしげに語る。一体この儀礼はなんなのだろう……とマリノフスキーは疑問に感じて考えをめぐらせます。確かに不思議な儀礼ですね。
 しかしマリノフスキーは、実は自分たちも同じような行為をしていることを示します。実は皆さんだってこういうことをしているのですよ。例えばプリクラ交換。少なくとも僕からしたら、何を目的にあんなに大量のシールをお金と時間を費やして交換しているのか、よく解らない(笑)。でも、皆さんにとってはちゃんと重要な意味があって、このプリクラ交換を通じて友人関係が結ばれたりもする訳です。このように、島の村人たちの首飾りと腕輪の交換の儀礼が特殊な訳ではない。それぞれの歴史/意味を持ったモノのやり取りを通じて、人と人とが結ばれていき、私たち人間は社会関係をつくっている。このことを、マリノフスキーはパプア・ニューギニアの島の儀礼の例から教えてくれたのです。
 このようにある村に住み込み、その村人を対象に調査をするケースが多いですが、必ずそうとも限らず、人類学者の対象とする人もフィールドも実に多様です。クラパンザーノ(※3)という人類学者はモロッコをフィールドに一人の瓦職人と自分との対話を記録しました。この場合対象となる人は瓦職人と自分の二人ですね。はたまた、ラトゥール(※4 )という人は研究所の実験室の中で、そこで働く人々の観察を続けることで人類学に新しい議論を起こしました。対象とする人もフィールドも実に多様であることが解ると思います(※5)。
 さて、このように多様な対象があるなかで、人類学の対象となる人々に共通することがあるとすれば、それは何でしょうか。それは、自分とは異なる「他者」である ということだと思います。何故でしょう。それは「他者」との出会いを通じて、自分にとって「あたりまえ」だと思っていることに気付くことができるからです。自分の文化の「あたりまえ」は常識すぎて気づくことは難しいかもしれませんが、異文化の中に入って「他者」と出会うことで、その「あたりまえ」を問い直すことができるのです。

※2:ブロニスラフ・マリノフスキー(1884-1942)。詳しくは『マリノフスキー日記』(谷口佳子訳、平凡社、1987年)など。
※3:ヴィンセント・クラパンザーノ(1939-)。詳しくは『精霊と結婚した男 モロッコ人トゥハーミの肖像』(大塚和夫・渡部重行訳、紀伊国屋書店、1991年)。
※4:ブルーノ・ラトゥール(1947-)。『科学が作られているとき 人類学的考察』(川崎勝・高田紀代志訳、産業図書、1999年)など。
※5:詳しくは、松村圭一郎『文化人類学 ブックガイドシリーズ基本の30冊』(人文書院、2011年)などにこれまでの人類学の著作が解りやすくまとめられている。

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3. チュニジアでのフィールドワーク

 

(1)概要

図2 シェニニ村(チュニジア南東部)(講師撮影)
図2 シェニニ村(チュニジア南東部)(講師撮影)
図3 クスクスを食べるチュニジアの家族(講師撮影)
図3 クスクスを食べるチュニジアの家族(講師撮影)

 私が人類学の対象にした国は、大学院に入る前に仕事をしていたチュニジアです。2010(平成22)年12月から革命が起きて、日本でも話題になりました。これは「アラブの春」のきっかけになった革命で、民主化の波はエジプトやリビアにも波及しました。チュニジアはアフリカ大陸最北端の国で、面積は日本の半分以下、人口はおよそ1,100万人です。
 毎年数カ月のフィールドワークを行っていますが、その際には 人口600人くらいの小さな村に住み込んでいます。写真(図2)にもありますが、山の側面に掘った洞窟を住居としています。羊・ヤギ・ラクダによる牧畜と、オリーブ栽培などの農業で生活しています。この村はサハラ沙漠の北辺に位置しています。降水量は年に100~150ミリくらいで、日本の夕立1・2回分くらいでしょうか。夏は気温が50℃くらいまで上がります。私は水で濡らしたTシャツをよく着ていました。 
 フィールドワーク中は、村の家族の家に居候し、衣食住を共にして暮らしました。写真(図3)は夕飯にクスクスというチュニジアの料理を一緒に食べているところです。個人の皿に取り分けたりはせず、皆でたらいにスプーンを突っ込んで食べます。

 

(2)チュニジアでのカルチャーショック

 私の研究の話に入る前に、異文化で生活するなかで、びっくりしたことなどをチュニジアの紹介も兼ねてちょっとお話します。
 チュニジアに住み始めた頃は、驚くことがたくさんありました。例えばトイレに入って用を足した後にトイレットペーパーがなかったり(笑)(ホースから出る水で洗います)、お肉屋さんでは、その日売っている肉の頭が看板として置いてあったりします。ラクダの頭が置いてある日は、今日ラクダをさばきましたって印です。何の肉か分かりやすいですけど、目が合っちゃって買いづらいです(笑)。
 異文化の土地に行くと、衝撃的なことがたくさんあります。「カルチャーショック」と呼ばれるものです。その中には、面白いこともあれば、我慢しなければならないことも多いです。しかし、自分にとってショックなことのほとんどは、現地では「あたりまえ」である場合が多いです。人類学で現地の調査を行うからには、自分の価値観を持ちつつも、現地の人の「あたりまえ」をどうにか理解しようともがきます。片足日本人、片足現地の人になる試行錯誤です。

 

(3)イスラーム教における男女

図4 チュニジアの高校生(講師撮影)
図4 チュニジアの高校生(講師撮影)
図5 村の女性 (講師撮影)
図5 村の女性 (講師撮影)

 皆さんと同じくらいの年頃の、チュニジアの高校生の写真(図4)をお見せします。写真を見ると解りますが、男子生徒は私服ですが、女子生徒は紺色のエプロンのようなものを着ていますね。これが女子生徒の制服です。また、全員ではありませんが、女性は髪の毛をヴェールで隠しています。髪の毛以外にも露出が多い服は避けることが多いです(図5)。これにはイスラーム教の教えが影響しています。日本人からすると、髪の毛を出すことがどうしていけないのか!?と不思議に思うかもしれません。これもカルチャーショックでしょうか。日本人の女性が夏に着ているような服装は、チュニジアの田舎に行くと完全にアウトです(笑)。
 学校は共学ですが、女性は基本的に家族・親戚以外の男性とはあまり親密になることはありません。チュニジアの田舎の場合、結婚式も男女に分かれて異なる場所、異なる時間で行われます。男女が仲良くなるということが余りないため、メールアドレスを交換しただけでも、恋人同然とみなされることもあります。日本でメールアドレスを交換しただけで恋人と思っていたら、ちょっと変態です(笑)。

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4. 私の研究

 

(1)テーマ設定

図6 オリーブの樹 (講師撮影)
図6 オリーブの樹 (講師撮影)

 フィールドワークを行うなかで感じたことが、人類学をする上で重要な出発点になります。私の場合、それはイスラーム教という宗教についてでした。一般的な解釈ではイスラーム教は、厳格な一神教で、唯一の神のみを信仰の対象とするイメージがあります。しかし、私が現地でイスラーム教徒と接していると、本当にそうかな!?と感じることが多々ありました。
 そのように感じて私がさらに着目したのは、オリーブが彼らの信仰に関わっている例でした(図6、7)。チュニジアではオリーブの樹のミニチュアが作られていて、各家庭に飾られたりします(図8)。私は「チュニジアのイスラーム教徒にとってオリーブとはいったい何なのか」と、オリーブと彼らの信仰の関係について調査を始めました。

図7 オリーブの実を収穫する女性 (講師撮影)
図7 オリーブの実を収穫する女性 (講師撮影)
図8 オリーブの樹のミニチュア(講師撮影)
図8 オリーブの樹のミニチュア(講師撮影)
 

(2)聞き取り調査

 さきほど人類学者の調査について話しましたが、オリーブについて住民たちが語ることを記録してゆきます。当然、現地の言葉を習得する必要があります。言語の習得は人類学には欠かせません。記録は許可を得てテープレコーダーで録音したりメモを取ったりします。「○月○日○時、○歳くらいの人が、このようなことを語っていた」ということをノートに書き込んでゆきます。そのため、ノートとペンは常に自分の体から離せません。僕はいつもでっかいポケットのある服を着ています(笑)。
 こうして、現地の人びとのオリーブに対する「語り」を記録してゆきます。語りは人によって様々です。「オリーブは神聖である」「神はオリーブに特別な力を宿らせた」「神の恩恵によって、オリーブは不思議な力を持ち、様々な恵みをもたらす」などなど。オリーブと人びとの信仰との関係を少しずつ理解してゆきます。

 

(3)オリーブに関する仕事

 このように、会話からも現地の人びととオリーブの関係は見えてくるのですが、会話以外にも、その関係を理解することはできないのでしょうか。私は住民たちの農作業、加工作業、利用方法なども参与観察しています。
 例えば、前回の調査の時はオリーブを収穫してオイルにする作業に携わりました。写真(図9)は洞窟の中にある大きな臼にオリーブの実を入れて、ラクダに挽かせてオイルにしているところです。ノートの一部(図10)を紹介しますが、用具の名前や用途などを記録してゆきます。他にも、実の収穫、剪定、枯れたオリーブの樹を木炭にする作業など、オリーブに関する住民とのやり取りは、すべて記録します。このような調査を行って、村におけるオリーブの役割や意味を少しずつ浮き彫りにしてゆきます。
 このような人類学者が書く現地の詳細な記録は、「民族誌」と呼ばれます。「民族誌」は人類学者が現地で何を見て何を感じているかを表す作品です。

図9 収穫したオリーブをオイルにする (講師撮影)
図9 収穫したオリーブをオイルにする (講師撮影)
図10 オリーブを精油する際の記録 (講師撮影)
図10 オリーブを精油する際の記録 (講師撮影)
 

(4)考察

 フィールドワークを通じて理解できたことは、現地のイスラーム教徒にとってオリーブは神の存在、力、恵みなどを表す存在であることです。イスラーム教は唯一の神を信仰する宗教です。しかし、人びとはどのようにしてその唯一の神の力を知るのでしょう。神の存在や恵みは、実際には様々なモノを介して信者に伝わります。チュニジアにおけるオリーブのように、特にそれが示されるものは、彼らの信仰においても重要なモノとして扱われ、時に神聖にもなります。このような事例によって、今までのイスラーム教のイメージとは違った側面を理解することができます。
 またこれは、イスラーム教に限ったことではないのかもしれません。信仰というと、何か見たり触ったりできないことのように思えますが、そこには常に何かしらのモノとの関わりあいがある。そのようなモノによって宗教や信仰がなりたっているともいえます。
 もう一つ、そのオリーブを例にモノについて考えてみましょう。私たち日本人もオリーブの実やオリーブ油を食べたりします。しかし、同じオリーブであっても日本人とチュニジア人とでは、全く別の役割を持っていることが理解できます。同じ一つのモノであっても、それと関係する人びとによって異なる存在になっているとも言える。私たちの身の回りにあるモノも、それと関わる人との関係で異なる存在になっているのかも知れません。
 このように、人類学では現地の例を出発点としながらも、もう一度自分たちの社会に引き戻して考え、人類一般としての考察を目指します。

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5. まとめ

 人類学ではこのように、フィールドで感じたことを出発点として、見たこと・聞いたことを細かく記録してゆきます。ノートにすると何十冊にもなるようなその記録を民族誌としてまとめ、それをもとにしてその土地の人びとや社会の理解を試みます。そしてその理解から自分たちをも含めた人類や社会について、もう一度え直す学問です。
 このように、人類学の基本理念の一つには、フィールドでの「他者」をとことん理解しようとする姿勢があります。しかしそれは人類学に限ったことではないと思います。「他者」や「異文化」は遠い国に行かなくても、すぐそこにもあるのかも知れません。日本国内でも違う土地に住んでいる人は「異文化」に属するかもしれないし、同じ土地に住んでいても世代・性別・育ってきた環境など様々な要素が違ってくれば、「他者」になるのかもしれません。学校の親友でも育ってきたバックグラウンドが違えば「他者」になる時があるのかもしれません。
 人は誰と接していても、自分とは違う考えや価値観に出会う時があります。自分とは違う「他者」と距離を置くか、理解しようと努めてそこから自分が「あたりまえ」と思ってきたことを見つめ直すかは、とても大きな違いです。相手の理解を通じて、自分の考えの幅を広げてゆくことは、皆さんの今後の人生にとって、非常に大切な術だと考えています。そう考えると、人類学とはなにも人類学者だけがしている学問ではないのかも知れません。高校生の皆さんも「人類学してみる人」になることで、皆さんの今後の可能性が大きく開かれるのではないでしょうか。

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(講義日)
2011年10月5日

プロフィール画像 講師:二ツ山達朗
2009年 京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科に入学。
中東(主にチュニジア)と日本を行き来して8年目になる。

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